【もしかして毒親?】さまざまな有名作品に出てくる「毒親」たち。家族の悩みは世界共通?

最近、親子問題を解決するための論理的なアプローチが開発されてきましたが、なにもここ数年で始まった話ではありません。かつてはそういった親子問題は作品のテーマともされてきました。「ヘンゼルとグレーテル」から『坊ちゃん』まで、国内外の名作に描かれる「毒親」について紹介します。

ずっと描かれ続けてきた「親子問題」

作家たちは時に、当時の親子関係のありかたや、自分や周囲の経験を作品に投影していいます。しかし、「親子」という関係性について描いた作品は無数にあり、親子問題をテーマにした作品も多数あるため、ここでは紹介しきれません。そこで、あえて全く関係のなさそうな多ジャンルの名作から読み解ける「親子問題」を抜粋してみました。「親子とは何なのか」という永遠の問いを考えるヒントにしてみてください。

ヘンゼルとグレーテル

「お菓子の家」のイメージが強いグリム童話「ヘンゼルとグレーテル」。継母に追い出された兄弟が森の中で見つけた「お菓子の家」。実は魔女が子どもを誘き出すための罠で、妹が知恵を絞って魔女を倒し、兄と脱出するという物語です。

小さい頃、絵本で読み「本当にそんな家があったらいいな」と憧れた人も多いのではないでしょうか。実はこのお菓子の家、「甘くて、栄養が高くて、危険から逃れる場所」ということで、「親の愛情」の象徴であるとも言われています。

貧しさゆえに、兄弟を追い出した親も現代では「継母」と描く絵本が多いですが、原書では実の両親でした。親の愛情に飢えた子ども達が、森の中で「偽の愛情」に引き寄せられつつも最後には自分たちの努力で乗り越えていくことを寓話的に描いたものだというのです。最後、子ども達は魔女を焼き殺し、隠していた宝石を持って帰ることで、「親に頼らなくても自分で生計を立てられる」状態になり、「自立」を果たしてめでたしめでたし、というわけです。

『車輪の下』

ドイツ文学の代表作、ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』。お受験戦争が社会問題としてもとらえられるようになった時期、その悲惨な結末が象徴的だとして話題になりました。

主人公の名前はハンス。寄宿舎のある神学校に好成績で入学するところから物語は始まります。親にも、故郷の人からもその「天才」ぶりから、期待を込めて送り出されました。入学したハンスは、自由奔放な問題児・ハイルナーと出会い仲を深めていきます。ハイルナーとの付き合いや、競争ばかりの学校生活の中で、ハンスは自分の人生が「周囲から決められたもの」であると感じ、幼い頃の「遊びを楽しむわくわくした気持ち」を失っていることから、意欲を失っていきます。ハイルナーの放校がきっかけとなり、レールから外れてハンスは結局故郷へと返され、周りから期待されていた役職とは異なる機械工となります。ある日酔い潰れたハンスは川に溺れて亡くなります。

ハンスは母親を失い、父親と街の人に育てられますが、現代にも通じる父親の姿が印象的です。まず、受験そのものも「ハンス」の意志とは無関係で、その勉強のために父はハンスが好きだったことを取り上げていきます。特に、受験旅行(試験を受けにいくための旅)でもハンスより父親の気分の盛り上がりが上回っており、読者になんとも言えない気分の悪さを覚えさせます。2位という好成績により期待を背負ったハンスは、プライドが高くなっていき「絶対に道を踏み外せない」という強迫観念に囚われていきます。よく読んでみると、ハンスは父親に何度か「助けてほしい、生きづらい」というサインを見せていますがそれらはことごとく、スルー。こういった「理想」を押し付ける毒親のもとで育った人からは、他人事として読めない苦しさのある作品です。

『坊っちゃん』

親譲 ( おやゆず ) りの 無鉄砲 ( むてっぽう ) で小供の時から損ばかりしている。

夏目漱石『坊ちゃん』

この一文で始まる、夏目漱石の名作『坊ちゃん』。「学校で暗記した」なんて人もいるのではないでしょうか。

負けず嫌いの少年が先生になり、その持ち前の喧嘩っ早さで田舎生活を乗り切っていくという話ですが、主人公の「周りに馬鹿にされているという」ある種の思い込みの強さは、作者漱石自身の親子問題を投影したものとも言われています。

本来、教員になるまでの環境については、本筋からずれそうなものですが、そのフィクション性の強い田舎生活の話に比べて、冒頭で語られる両親の話には妙にリアリティがあります。

おやじはちっともおれを可愛かわいがってくれなかった。母は兄ばかり贔屓にしていた。この兄はやに色が白くって、芝居の真似をして女形になるのが好きだった。おれを見る度にこいつはどうせ碌なものにはならないと、おやじが云った。

…中略…

口惜くやしかったから、兄の横っ面を張って大変叱られた。

夏目漱石『坊ちゃん』

両親2人ともが兄ばかりを大切にし、主人公を蔑ろにする「毒親」っぷりが描かれています。5男として生まれ、「大事にされてこなかった」と感じていた漱石自身の恨み節が聞こえてくるようなシーンです。

経験を糧にするのは自分自身

自らの経験を作品として描くことで、コンプレックスや悩みを昇華する作家もいます。それらの作品を読むことで、人は学び、気づきをえます。「毒親」に苦しんできた人たちにとっても大切なのは「毒親育ち」であることを認め、吐き出していくこと。結末が暗いものもありますが、だから「自分の人生もうまくいかない」と諦めるのではなく、それをどう反面教師にしていくのか、自分なりの解決法を探すヒントにすることが大切です。小説の形にすることは難しいかもしれませんが、そういった作品に触れることで「客観視」をし、アウトプットする勇気をもらってみてもいいかもしれません。