【もしかして毒親?】毒親になりやすい「昭和母」これがあてはまったら要注意
なぜ近年「毒親」という言葉が注目されるようになったのか。その背景には「昭和親」の元で育った「平成育ち」が20代・30代を迎え、社会で発信ができるようになったり、問題の解決に向けて行動できるようになってきたことが挙げられます。今回は毒親によく見られる「昭和脳」がどのように培われてきたのかを紐ときます。
「育児論」の歴史
「育児論」という言葉が一般的なように、子どもの育て方については長く「べき論」が展開されてきました。この社会背景の大きな一要素に「経済成長」があります。 実は今の学校や家族のあり方のベースができたのは明治時代。それまでは身分制度もあったため、その各コミュニティによってルールがあり、「国」という単位での共通ルールは多くは定まっていませんでした。しかし明治に入り、他国と比較したなかでの「日本」の定義が求められるようになり、競争力や生産性も必要とされるようになりました。教科書で「富国強兵」という言葉が出てきたのを覚えている人も多いのではないでしょうか。急速に法や制度が整備されるなかで「家父長制」や「学制」といったものができ、家族のあり方、教育のあり方が、法律として定められるようになったのです。この「学制」には今の「道徳」のもととなった「修身」という科目が学ぶべきものとして定められました。そこに書かれた「孝行譚」には「子どもはどんなことがあっても親に尽くすべきであり、親を喜ばせるために努力すべき」といったことも盛り込まれていたのです。「産めよ増やせよ」という共通の目標のもと「あるべき」親子像が作られていきました。
「あるべき」ばかりの根性論育児
『気づけない毒親』では、このように指摘されています。
昭和生まれの親は、おおむね「戦後」の価値観で生きています。「我慢しなければいけない」「競争に勝たなければいけない」「人に好かれなければいけない」「優秀でなければいけない」「強くなければいけない」「急がなければいけない」「怠けてはいけない」……。そんな「思い込み」がたくさんあって、そうでないと「生きていけない!」と、無意識に恐れています。
高橋 リエ. 気づけない毒親 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.42-46). Kindle 版.
戦争は人々の暮らしに大きな影を落としましたが、「家族のあり方」にも大きな影響を与えました。「強迫観念」を持った親に育てられた、昭和の子どもたちが大人になって家庭を持ち、「人生のレール」という言葉が生まれたように、親がやってきた「あるべき子育て」を連鎖させていったのです。 しかし、また時代は変化しています。基本的な豊かさの上に、個人が尊重される時代がやってきました。そうして、さらに「個性」を生かせないと、社会の変化が早すぎて順応できない世の中にまでなりました。Youtuberという働き方が「好きなことで、生きていく」というキャッチコピーで有名になりましたが、そういったものには流行り廃りがありそう人の消費と連動する広告費に依存するビジネスモデルが抱える問題も、徐々に明らかになってきました。新しい働き方が注目を浴びる一方で、大手銀行や航空会社などかつては人気があり安定しているといわれた業界の凋落も話題となっています。「絶対に正しい生き方」がない今、「あるべき」の元で育てられたこと自体が、リスクともなる時代がやってきたのです。
「昭和母」にありがちな考え方
昭和の教育を受けてきた母親思い込んでいがちなポイントをまとめました。
・結婚し家庭を持つことが一番の幸せだと思っている・大学生の頃までは異性との交友関係に厳しいことを言っていたが、30才が近づいたら掌を返したかのように「いい人はいないのか」などと言ってくる・大手企業に就職して欲しいという思いが強い・転職に対して過敏に反応し、事情をあまり効かずに止めようとしてくる。・親戚や近所からの「子どもの評価」を、常に気にしている 普段からこういった発言が多い、考えが垣間見える場合、自分もその強迫観念の影響を受けている可能性が高いといえます。
参考文献
スーザン・フォワード(1999)『毒になる親』(玉置悟 訳)毎日新聞出版
高橋リエ(2019)『気づけない毒親』株式会社PHP研究所
水島広子(2018)『「毒親」の正体 精神科医の診察室から』新潮社諸富祥彦(2016)『「プチ虐待」の心理』青春出版社
信田さよ子(2008)『母が重くてたまらないーー墓守娘の嘆き』春秋社