【もしかして毒親?】毒親育ちはモラハラパートナーに出会いやすい?本当に怖い共依存

毒親について連載してきましたが、親子問題の根深さは、子どもの頃受けた影響に勇気を持って向き合わないと、自覚のないままに、行動に影響を及ぼすこと。毒親問題と切っても切り離せないのが「共依存」という問題ですが、親と無理やり距離をとると、その代替をパートナーに求めてしまう人もいます。今回は毒親育ちとモラハラパートナーについて解説します。

そもそも共依存とは

共依存とは、方向性が物や人に対する一方的な「依存」とは違い、お互いがお互いに依存する、人と人との関係性が歪な状態を表すことばです。さまざまなパターンがありますが、「支配者」

そもそもお本来、人が自分らしく生きる権利は平等にあるものです。上司と部下という立場の違いがある関係であっても、上司が部下が嫌がること、部下自身のポリシーに反することを強要する権利はありません。パートナーの場合も同じです。たとえ男と女、年齢の差があったところでそれぞれの「その人がその人らしく生きる権利」は守られなければなりません。夫であること、妻であることが結婚した相手の行動を束縛する理由にはなりません。こういうと当たり前のことのように見えますが、その「立場」を勘違いして、個人を侵害する人が多いのも事実で、それは「パワハラ」「モラハラ」といった言葉の浸透と共に明るみに出つつあります。ハラスメントを働く人の内面には「支配」や「征服」の欲求がありますが、そもそもその欲求の裏には「認められたい」「裏切られたくない」といった、心の問題があります。モラハラをする人は、人からも社会からも認められたい欲求が強いため、一見世渡りが上手そうに見えることもあります。

一方で、人には社会や他人に守られたい欲求もあり、「自分を引っ張っててくれる人」「自分の進むべき方向・行動を決めてくれる人」に従ってしまった方が楽、と思う一面もあります。日本には「寄らば大樹の陰」(隠れたり休んだりするならば、大きい木の下の方がよいということから、頼るならば勢いや権力のある人のほうがよいということの例え)や「長いものには巻かれろ」(力をもっている人には迎合しておいたほうがよいという意味)といったことわざがあるくらいで、歴史的にも集団生活をしてきた民族ほどその傾向は強いと言われています。集団生活を営むグループや枠組みから追い出されることは、古くは「死」にも直結していたためです。近年、雰囲気や集団の暗黙の了解を表す言葉に、「空気を読む」という言葉がありますが、現代社会もまた一人一人がさまざまな枠組みに属しながら生きていることを指ししめすものでしょう。

共依存の恐ろしいところは、この「守られたい」「思考を止めて楽になりたい」といった人が本来持っている性格に、「コントロールすることで自分の存在意義を確かめたい」人がつけ込めてしまうことです。親子で共依存状態になっている場合、子どもは「支配」を「愛情」と錯覚したまま育ってしまうことも多く、成人してからそういった「支配できる」あるいは「支配してくれる」パートナーに魅かれやすくなることもあります。

親子の共依存

親自身が愛情不足を感じて育つと、大人になって家族の一員が増えたときに、そこに「親代わり」を求めてしまうことがあります。パートナーがその愛情を注ぐ役割を担うこともありますが、実際に血のつながっている子どもに要求する人も少なくありません。また共依存していたカップルの元に生まれた子どもは、2人がより深く依存し合うための、「共通の敵」とされることもあります。

親の甘えについて、『子供にしがみつく心理 』という本でこのように記述されています。

小さい頃愛されなかった人は大人になっても、自分勝手な甘え、身勝手なわがまま、自己中心的欲求、注目がほしいという脚光欲求、時間を気にしないで遊びたいという欲求、そんな様々なものが残っている。

加藤 諦三. 子供にしがみつく心理 大人になれない親たち (Japanese Edition) (Kindle の位置No.101-103). Kindle 版. 

親が自分の幼稚さを認めることを拒否すれば、どうしても子供を責めることに落ち着いていく。「親子の役割逆転」をする親は、自分自身の幼稚さゆえにうまくいかない親子関係について「おまえは駄目な子供だから」というような理屈を言う。

加藤 諦三. 子供にしがみつく心理 大人になれない親たち (Japanese Edition) (Kindle の位置No.135-137). Kindle 版.

自分の抜け出せない愛情不足を子どもに責任転嫁しようとするのです。こうした親の元で、否定され、甘えの対象とされて育った子どもは愛情不足を抱えたまま大人になることになり、依存が連鎖していきます。