【もしかして毒親?】断捨離ならぬ「親断ち」!今年の年始は親との関係性をリセットしてスッキリ

この時期、距離を置いていても思い出さざるをえない「親」のこと。例年に比べれば、里帰りする人が少なくなりそうな年始ではありますが、連絡などは避けて通れません。来年の目標を立て、「なりたい自分」を目指すためにも、親子関係のこと見直してみませんか。

子どもの自立より厄介な親の自立

毒親問題の解決が難しい理由のひとつは、本来であれば「親」と「子」相互の問題であるはずなのに、その「親」自身が問題意識を抱えていないことにあります。先日の記事「毒親に立ち向かうためには?逃げるは恥だが役に立つ?!」でも紹介したように、親に解決する意志がなければ、子どもから強要はできず、当事者意識を持ってもらうことすら難しいのが実情です。親が自分の行動に問題があると思いいたらない背景には三つの「シン」があります。

【毒親の気持ちを読み解く3つの「シン」】

子どもの行動を束縛する親がよく口にする「心配」という言葉。一見優しさにも見えますが、過度の心配によって子どもの行動を先回りすることは、子どもの自立心を奪います。また過度に周囲の目を気にする親の場合、「子どもが恥をかかないか心配」といったことを口にしがちですが、根底には「子どもを通して評価される自分が心配」という問題をすり替えていることも多いのです。

「あなたのためを思ってやっているのに」というのは毒親によくあるセリフ。当事者がそのサポートを望んでいるいないにかかわらず、「本人の思い込み」で行動しておきながら、思ったような言葉や反応がえられないと不安定になるのも毒親の特徴です。ライトなものであれば「ありがた迷惑」で済ませられるのでしょうが、感謝をしないとキレる親の場合、子どもは親の顔色を伺いながら過ごすことになります。

客観的に見たり、大人になってから振り返ってみれば「おかしな行動」と判断できるのですが、行動している本人は至って真面目です。本当にその行動が正しいと信じ込んでいます。テレビなどで毒親が取り上げられているのを見ても、自分を振り返らず他人事のように見ている親は、自分の行動に対して過度な自信がある場合もあります。子育てに絶対はなく、親も一人の人間である以上、自分を客観視できていれば「絶対正しい」とは思えないはずです。

このような背景から「毒親育ち」に気づいた際には、親から離れてまず自分自身が「自立」することが必要です。

親子関係における断捨離とは

世の中にはさまざまな断捨離メソッドがありますが、共通して言えるのは「必要なものをのぞいて捨てる」ということです。必要なものまで捨てる必要はないのです。「シンプル」は目指しても、「虚無」を目指すわけではありません。

親からの自立を、親を「見捨てる」かのような言い方をする人が一定層いますが(時に親自身が言うこともありますが)、親との複雑に絡み合った縁を整理する中で、いらないものを排除するだけのことです。

大人になれば、多くの人と接し、自分なりの価値観が出来上がってきます。それは親を踏襲しなければならないものではありまん。親から引き継いだいい部分は、自分の強みとして活かす、一方で親から受け継いだ「嫌な部分」、親からもたらされた「嫌な思い出」、親からかけられた「嫌な言葉」の呪縛は捨てる。その手順を繰り返すことで「親のせい」にするのではない、自分で選び取った人生へと変わっていきます。心のクローゼットが片づけば、「取り出したい時に取り出す」ことも簡単になるはず。親子問題の引き出しは、数も多く大きさもバラバラで思っている以上にしんどい「大掃除」になることも多いですが、新年気持ちがあらたなタイミングで取りかかってみては。


参考文献

加藤諦三『平気で他人を攻撃する人たち』 (Japanese Edition)Kindle 版.